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2025.03.27 Thursday

十字屋商店の歴史

十字屋商店が創業したのは1906年。
小田原より上京した初代・大道寺均平(だいどうじ きんぺい)が、現在の押上の地で小間物屋として開業しました。当時の屋号「十字屋」は、均平が小田原で生まれ育った「十字町」に由来しています。商売は順調で、人の出入りも多く、日々忙しく過ごしていました。

しかし、1923年の関東大震災により店舗を焼失。押上での再建を断念し、浅草菊屋橋へ移転。商売は再び軌道に乗りましたが、このとき二代目・晃平はまだ5歳でした。

やがて成長した晃平は、商業学校に通いながら店を手伝い、均平の助言もあって宝飾品の販売を開始。当時、宝飾品を扱う店は少なく、販売は好調でした。晃平は昼は仕入れや加工に奔走し、夜は学校へ通うという日々を送ります。しかし、時代は戦争へと突き進み、1939年に晃平は兵隊に召集。戦火をくぐり抜け、終戦後に無事復員しましたが、浅草菊屋橋の店舗は焼失していました。

戦後、均平は店を晃平に譲り、再びゼロからの商売が始まります。戦時中に築いた人脈を頼りに、新たな店舗を探し出し、現在の湯島天神下に移転。わずかばかりの資金で少しずつ仕入れを行いながら、商売を立て直していきました。晃平の手記には、「血の小便を出しても働いた」と、その壮絶な苦労が記されています。

その後、社会は高度経済成長を迎え、バブル期へ突入。三代目となる義郎は戦後生まれで、学生時代から店を手伝いながら商売を学び、1980年には十字屋商店を有限会社化。そして1991年には近隣5店舗と共同でコア湯島ビルを建設し、現在の店舗での営業を開始しました。

しかし、バブル崩壊後は宝飾品業界も大きな打撃を受け、業界規模は最盛期の3分の1まで縮小。それでも多くのお客様に支えられ、2006年には創業100年を迎えました。

義郎は1990年代からオリジナルジュエリーの制作に取り組み始めます。既製品の販売だけでなく、より個人の思いやこだわりを反映できるジュエリーを提供するため、自ら新たな職人とのつながりを開拓。オーダーメイドやリフォームを手がけ、ジュエリーに込められたお客様の想いを形にすることを大切にしてきました。その姿勢は現在の十字屋商店のスタイルにも受け継がれています。

時代が変わる中でも、十字屋商店は「大切なものを受け継ぎ、新しい形にしていく」という想いを大事にしながら、ジュエリーを通じてお客様の人生に寄り添い続けています。

 

 

 

 

 

 

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